ロボットと初音ミクとニンゲン。

Amazonが僕に「おすすめの商品」を紹介してくる。
この「おすすめの商品」は、僕が買った/見た商品の履歴から
関連するものを紹介しているだけ(だと思う)なのに
たまに、とんでもないものを紹介してきたり、コイツできる!って思うことがある。
Amazon側に人間的な感情など無く、単なるプログラムにしか過ぎないのに
それを受け取る人間側は、それにどこか人間的なものを感じてしまう。


A・C・クラーク著「2001年宇宙の旅」に登場する人工知能を持つコンピュータ:HAL 9000は
旅の途中で異常をきたし、機能停止させられてしまう。
このシーンは個人的にとても好きで、読むたびに泣きそうになってしまうのだけれど
結局、そのバグは0と1でしかなくて
それを人間が「人間らしいもの」としてとらえているにすぎない。
あくまでHAL9000はロボットであり、人間によって作られたものだから。


AmazonHAL9000に並んで、もっとわかりやすいのが「初音ミク」なのだと思う。
初音ミク自体はソフトと簡単なプロフィールしか公開されていないのだけれど
ニコニコ動画などを通じて「ネギが好き」といった追加情報や「弱音ハク」などの派生キャラが生まれてきた。
初音ミク自体はただのソフト(実際の人間の声をサンプリングしているにしても)に過ぎないのに
使う人およびそれを見る・聴く人によって、キャラもしくは一人の人間として作られていく。


最近、浪人生ということもあって、以前にも増してメールやブログなどを使って人と繋がることが多くなった。
感情を文字にしてキーボードを打つ。文字は0と1の羅列に変わる。
そうやってコミュニケイションがどんどん記号化されていく。
別に目の前に人間がいなくても、擬似的なコミュニケイションで満足できる。
SFチックな話になるんだけれど、たとえば他愛のない内容に返信されたメールの送り主が人間では無くて
自動返信ソフトか何かだったとしても、それを調べる方法がない以上確認できない上、
おおくの場合が「返信が来る」という時点で満足してしまうので、疑問に思うことは少ないのだろうと思う。
そういう記号的なコミュニケイションが良いか悪いかは別としても、それによって救われたり安心できたりすることも事実だったりする。


先日、買いものをしたスーパーのレジの人が、ロボットみたいにカクカクした動きで少しだけ和んだ。
これじゃあ、どっちがニンゲンでどっちがロボットだかわからないね。