僕とトモさん その2。

以前書いた「僕とトモさん。」という記事*1は、多少の補正を除けば、いちおう僕の実体験だ。
糞とまではいかないけれど学校が好きではなかったし
「社会科見学」と称してふらふらしたりライヴに行っていたことも本当だ。
中打ちに参加していろんな話を聞いたのも事実だし
そこであったわけではないけれど「トモさん」(正確には「トモちゃんさん」と呼んでいて、
お勧めされたのはコールドプレイとニューオーダー。どちらもまだまともに聴いていない。)は実在する。
そして「トモさん」ではないが女の子と2回だけウダウダしたことも夢ではないし
ケータイが壊れたのも、そのバンドが活動休止だったのも本当の話だ。


一応どれも実話なんだけれど、それは一つの物語の中で起こったことでは無くて
僕がここ数年で経験した別々のレイヤーの上で成り立った出来事をひとつの物語に再構築したものだ。
したがってあの話に登場する「僕」は僕では無くて「僕'」で
「トモさん」は実在する「トモちゃんさん」と「僕が一緒にウダウダした女の子」に分裂して
それぞれ「トモさん'」「トモさん''」となる。


とまあそんなのは割とどうでも良くて、僕が考えているのは
こんな風に別々のレイヤーの上に成り立つものを再構築するだけで、「事実をもとにした物語」は作れてしまうんじゃないか、ということ。
06年の年末に行われた「最も感動した小説ランキング」*2では、「恋空」をはじめとする
「事実をもとにした〜」という小説が上位をランクインしている。
そしてそれに対して「ノンフィクションならではの〜」という声もあるという。
「恋空」の非現実性について今更とやかく言うつもりは無いんだけれど、
事実をもとにした物語にノンフィクションならではの〜という声は間違っている気がする。
新撰組」や「タイタニック」は過去にあった出来事もとにして作られているけれど、それをノンフィクションと捉える人は少ない。
けれども、ケータイ小説に関しては特に「リアルさ」や「現実にありそうな感じ」が強調され、それに親近感を抱く人すらいるらしい。


ケータイ小説に関しては、僕が勉強不足なのともう既に語りつくされている感たっぷりなので、書くことはないけれど
何かしらのツールを使って、物語内に入り込んで現実逃避をしたがるのは、オタクも女子高生も変わりないってことなのかなあ*3

*1:http://d.hatena.ne.jp/harmkia/20090326/1238056483

*2:http://www.oricon.co.jp/news/love/39433/

*3:こう書くと上から目線的で嫌なんだけれど、それは僕も同じです。現実逃避大好きです