相対性理論がわからない。

シフォン主義
シフォン主義
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相対性理論
みらいレコーズ (2008-05-08)
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ここ数年ずっと思っているんだけれども、バンド:相対性理論って何であんなに人気なのだろう。
mixiコミュニティには3万人以上の人が参加しているし*1いしわたり淳治飯野賢治もブログで称賛している。
僕もふと思い出したように1stアルバム「シフォン主義」を引っ張り出しては聴くことがある。
けれどもその度に僕は不思議に思う。何だってこんなに人気があるんだろう、と。
勿論、魅力的な部分はたくさんある。
ボーカルの女の子の「サ行」を発音した時の空気混じりのかすれた感じだとか、
ブインブイン鳴るベースの音だとか、ポップすぎる曲調だとか、
「夏の黄金比」に入る男性コーラスのヘタウマ加減だとか。
しかし、だからと言ってそれらの集合体がここまでの人気につながっているとは言い難い。
何故なら、先入観を持たずに普通に聴こうと思えば普通に聞こえてしまうからだ。
けれども、僕は相対性理論を聴いてしまう。
それは何故だろう、と僕は考える。


相対性理論の魅力の一つとして歌詞がよく挙げられる。


飛んでったボイジャー 惑星破壊
なすすべないあなた サイコパス
環状線渋滞 先長い
待つのつらい私 ゲームボーイしてたの


北極星 超新星 流星群にお願いよ
誰か止めて あの子のスーサイド
新幹線 連絡船 運命線よおしえて
私明日は どこでどうしてるの


相対性理論/スマトラ警備隊

聴いてみるとわかるが、いわゆる「伝えたいこと」みたいなものが一切ないように感じる。
そしてだからと言って「伝えたいことなんて元からない」というシニシズム的でも無い。
適度に韻を踏みながら、言っていることの雰囲気は伝わりつつ、
結局意味が分からない、という具合がすごくいいなって僕は思う。


さて、少し脱線してこの「伝えたいことなんて元からない」というのを考えてみたいと思う。
「伝えたいことなんて元からない」というのに対して
「元からないけれど、「敢えて」それっぽいことを形として選択する」という消費社会的シニシズム
その「敢えて」が抜け落ちてベタにその形を選択するロマン主義シニシズムがある。
この二つはループ関係にあって、絶えず繰り返している。
→「伝えたいことなんて元からない」
→「でも敢えてそれっぽいことをする」
→「敢えてが抜け落ちてそれっぽいことがベタに選択される」
→ 一番上に戻る。   といった具合に。


宮台真司がポピュラー音楽が持つ機能を「シーンメイキング」「関係性提示」「お耽美化」「歌謡曲的ネタ化」として分析していて
僕もそれにはある程度は賛同しているのだけれど*2
こうやってシステム論的に(?)に分析されてしまうと、
「音楽なんてそういうもの」、そしてそれに対する「敢えて」による消費社会的/ロマン主義シニシズムの無限ループに陥ってしまう。


相対性理論が人気なのは、「ポップ」というアイコンと、
その「音楽なんてそういうもの」もしくは 「伝えたいことなんて元からない」という2つと
それに対する 「敢えて」によるシニシズムのループから脱却した、
絶妙なバランスによる歌詞とそのネタに対してベタともメタともとれる感じが受けているからなんじゃないか。
もしそうであるのならば、相対性理論の人気というのは
今の日本の音楽シーンが持つ前提(音楽なんて・・・/伝えたいことなんて・・・)に対する
リスナー側のある種のアンチテーゼとして取れるんじゃないか、と。


この不思議な「相対性理論人気」は、
ある種の変化の兆しなんじゃないか、と思いながら
僕はまた相対性理論を聴いている。

*1:2010年1月現在

*2:僕は実際に彼の本を読んだことが無いので、あくまで感覚的に。