痛みの感じる夢だった。

「それは巨大な蛸みたいなものなんだよ。自分の意思とは関係なく、一度その足に絡まれたら深い海に引きずり込まれておしまいさ」
 彼が左手に挟んだマールボロの先端が赤く光った。
吐き出された煙は少しの間そこに留まっていたが、やがて形を失った。
その煙の行き先について少し考えてみたが、結局わからなかった。
「それから逃れる術はない。ロシアンルーレットと同じだよ。運が悪ければズドン」
 彼は右手でけん銃の形を作ってこめかみへ当てながら言った。
私はそんなものなのか、と考えているフリをしながら空に目をやった。
 伸ばした綿のようにムラのできた灰色の雲が空を覆っていて、
その役割を思い出したように落とされた雨粒を私の頬が受け止めた。
「雨が降ってきた」と私は言った。
「気のせいさ」と彼は言った。
 私はもう一度曇り空を見上げてみた。雲はある。けれども雨は降っていない。
気のせいだったんだろうか。私は頬に指を当ててみた。頬は冬の風で乾いてカサカサになっていた。
「なあ、おれたちってどんな大人になると思う?」と彼は言った。
「知らないよ」と私は答えた。
 彼はつまらなそうにマールボロを地面に捨て足でその火を消した。
マールボロの吸い殻は、潰れたミミズの死骸のように、
そこに自分がいることを誰かに認めてもらう事すら諦めているように見えた。
ふと、それが自分の将来の姿なんじゃないだろうか、という思いが私の前を横切って、
背後からそれらが這ってくるような気味の悪い感覚が私を襲った。


 "それは巨大な蛸みたいなものなんだよ。自分の意思とは関係なく、一度その足に絡まれたら深い海に引きずり込まれておしまいさ"


 彼は笑いながら、右のポケットからくしゃくしゃになったマールボロのパッケージを取り出した。
「いい加減、煙草やめたら?」と私は言った。
「未成年の喫煙ってなんで駄目なんだろう?」
「体に悪いからだろ」
 彼は私の言葉の存在を認めつつも無視をして新しいマールボロに火を付けた。
「人の行動を制限するのは、道徳・法・市場・アーキテクチャの4つだ。もし本当に未成年の喫煙の問題を解決するのであれば、
道徳で"未成年は煙草を吸ってはいけない"と教え、法でそれを破ったら罰を与えて、
市場でそもそも子供が買えないような値段に設定して、
アーキテクチャで子供が煙草を買えなくする制度設計を行うべきだ」
「何が言いたい?」
「未成年は煙草を吸ってはいけない。というのであれば、それなりの方法はたくさんあるはずなのに、それらはほとんど行われていない。
つまりだ。子供が煙草を吸うと体の成長に悪いから、なんて言っているけれど本当は国家は子供の体のことについてなんてこれっぽっちも考えていないってことだよ」
「だから、自分は吸うと」
「や、でも一応は悪いことだと思っているから、こうやって屋上で隠れて吸っている」
彼はそう言うと決まりが悪そうに笑みを浮かべた。私もそれにつられて笑ってしまった。
「寒いから戻ろう。雨も降ってきた。」と彼は言った。
「気のせいだよ」と私は言った。
 相変わらずの空だったが、雨はまだ降りそうになかった。