赤。

世界はとてつもなく広いというのに、僕は同じ所をぐるぐる回っている。
すれ違う人に体がぶつかるのも慣れてしまった。今では謝るという行為は愚か、申し訳ないという気持ちすら無い。
僕は産まれたときからある施設で育てられた。だから親の顔を知らない。
そこで出会った友人の顔も忘れてしまった。同じ所をぐるぐる回っていると全てがどうでもよくなるようだ。
死にかけの魚の目をしたやつが僕の体に当たった。勿論、謝られることはない。
僕はまた同じ所を行ったり来たりする。
昨日、この場所へ来たときに出会った奴が旅立った。ここは居心地が悪い。当然だ。
彼が何処へ行ったのか僕は知らない。世界はとてつもなく広いらしい。
僕が初めてこの場所へ来たとき、彼はこの世界での生き方を教えてくれた。


「手を差し伸べられたら、それに逆らってはいけない。長いものには巻かれろ、だ。」


僕は自由だ。僕は何処へでも行けるし何にでもなれる。差しのべられた手を払おうとそれは僕の勝手だ。
けれど僕は同じ所をぐるぐる回っている。
ここは居心地が悪い。色々な人に見られているようだ。気持ちが悪い。
例えば今、手を差し伸べられたら僕はそれを払うのだろうか。
ここは確かに居心地が悪いけれど、場所が変われば救われるのだろうか。僕にはわからない。いいや、その時になったら考えよう。
その時、急に体が軽くなった。空を飛ぶというのがどういう感覚なのか、その時まではわからなかったが
多分あの瞬間、僕は空を飛んでいたのだろう。
彼が言った「手を差し伸べられる」というのはこの事だと中に浮かびながら思った。


「あーっ」


誰かの声と同時に体に体重が戻り、僕は落ちた。声の主と目があった。少し残念そうな顔で僕を見ている。


「はい、残念。」


先ほどの声とは別の低いしゃがれた男の声が聞こえた。
どうやら差しのべられた手を僕は自分の意志ではなく払ってしまったらしい。
僕はまた同じ所をぐるぐる回る。初めの声の主の姿は僕の目では確認できなくなった。
もし僕が手を払わなければ、どうなっていのだろう。彼のいる場所へ行けたのだろうか。僕にはわからない。
けれど思うのだ。あの声の主もきっと同じ場所をぐるぐると回り、いつか差しのべられるであろう手を払うか否か悩んでいるのではないか、と。
世界はとてつもなく広いというのに僕はまだ同じ場所をぐるぐると回っている。





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*1:貯金魚を最近見かけないけれど、どうなんだろ