「僕」と「俺」。

普段、日常での一人称は「俺」なのだけれど、こうやって文章を書くときは「僕」を使っている。
それがいつからなのかも、何故使い分けるようになったのかも、覚えていないんだけれど
たぶん、そっちの方が頭が良さそうに見えるだとか、村上春樹の作品に影響されてとか、大した理由では無かったと思う。
僕はいつも「僕」を使って自分の中の残念な自意識をまき散らすような酷い文章を書いているので、
自分の中に対する「僕」と人に対する「俺」と言うように、意識的にではないが何処か使い分けていたところが自分の中にあった。


僕は予備校に行かずに浪人生をやっているので、
月に数回は友人とかと会って近況報告をしたり愚痴を言いあったりはしているものの、
家族以外の人と面と向かって会話をしない日の方が圧倒的に多い。
その代わりと言うのもおかしな話だが、相対的にメールやミクシイ・ツイッターなどでコミュニケーションをすることが増えた。
ミクシイやツイッターでのコミュニケーションと言うのは、不特定多数に対してとりあえず自分から発信をして
それに対してレスポンスを受けることで成り立つので、基本的には「僕」を使う。


今までは学校やバイト先などのコミュニティがあることが前提としてあって、自分に対する「僕」と人に対する「俺」が分けられていたが、
そのコミュニティから抜けて、自分から発信してそれに対するレスポンスを受けると言うコミュニケーションが主となったとき、
人に対するのが「俺」では無く「僕」になってしまっていると感じることがある。
けれども、面と向かって会話をしたときに使う一人称は「俺」のままなので、人に対するのが「僕」と「俺」の二人になってしまっている。
それは多分、どちらかの一人称に統一すればいいという問題では無いと思う。


以前書いた「初音ミクとキャラクターとコミュニティ。」*1という記事で少し取り上げた機材Pの問題*2にもリンクしている
「自分」と「自分というキャラクター」の力関係と言うのは、
ネットの普及(ブログやミクシイ、あるいはニコ動等の自己表現の場の普及)によって支えられているものほど
自分の置かれている環境が変わったときに、苦しいものになってしまうんじゃないだろうか。

*1:http://d.hatena.ne.jp/harmkia/20090616

*2:これについてはシロクマの屑籠(汎適所属):全裸になったのは“草磲 剛のなかのひと”であって、“草磲 剛”というキャラではないhttp://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20090423/p1