モノクロパンダ


それは道端に落ちているボルトやナットを思い出させた。
そこにずっと前からあるにも関わらず、気づいてもらうことを諦めているようだった。
鈍く曇った灰色の空を見上げてそう思った僕は、上半身だけを起こした。
 そして、僕はあることに気づいた。
 初めに、まだ寝ぼけているのだろうと目をこすってみたが、見えている光景に変化はなかった。
次に、まだ夢を見ているのだろうと漫画みたいに頬を抓ってみたが、痛いだけだった。
最後に、僕はそれを声に出してみた。


 僕には色がない。


 それが、今日始まったことなのか、それとも今日気付いたことなのかを考えてみたが、うまくいかなかった。
ただそこには、自分には色がないという現実と、それに対してどうすることもできない僕がいるだけだった。
 ふと視線を自分の体から近くの笹の葉に移した。葉は昨日と変わらず緑色だった。
 白と黒が色として劣るのかはわからないが、
僕には白と黒しかないという現実の重さみたいなものは変わらず、
僕の背中にズシリと伸しかかった。
 頭の中まで色が無くなっちゃった、と自分でもうんざりするような冗談を浮かべながら、僕は友人の家へと向かった。


「よお。どうしたんだよ、そんな顔して」
 そう言った友人にも色は無かった。
たぶん、ずっと前から彼に色は無かったのだろう。
それに僕が気が付かなかっただけだ。
僕はそのことについて話した。鈍い空の色のこと。
変わらない笹の色のこと。自分に色が無いことに気がついたこと。
そしてそれは何故だろうかということ。
「それが何だっていうんだ。白と黒があるんだ。それで十分じゃねえか」
と友人は言った。
「でも」
「もし仮に俺が青色だったら何かが変わるのかい。そうじゃねえだろう?」
僕は何も言わず頷いた。   
 もし僕に色が与えられたとして何かが変わるのだろうか。
それとも髪の毛を切った日の気分を忘れてしまうように、いつかはそれに慣れて忘れてしまうのだろうか。
その違いについて考えてみたが、よくわからなかった。
わかったのは僕には色が無いし、それをどうすることもできないということだけだった。
「お前の言いたいことはわかるよ。でも、俺は白と黒で十分だと思う。お前はそれに疑問を抱く。そこには意味はない。それでいいんじゃねえか。十人十色って言うしな。ま、俺とお前は二色しか無えけれどよ。」
 彼はそう言うと決まりが悪そうに苦笑を浮かべた。それにつられて僕も笑った。
 「まあ、あんまり気にすんなよ。どうしようもないことは考えてもしょうがねえ」
僕の代わりに蛙がぐえーと返した。


 その日も僕は、家から少し離れた場所で相変わらずの空を見上げながら、相変わらずの疑問を頭に浮かべていた。
 きっと友人が言ったように、そこに意味はないのだろう。
いや、あったところでそれをうまく受け入れられる自信も無い。
それでも僕は考えることを止められなかった。
 やがて僕は、泥水の中へ飛び込んだ。
泥水は僕の予想したとおり、白と黒の体を茶色に染めた。
僕は初めて色を手に入れた。
 少しして蛙が一度だけ鳴いた。それを合図に雨が降り始める。
そして雨粒は僕の予想を裏切った。
雨に濡れて僕は白と黒の体に戻ってしまった。
手に入れたと思った茶色は僕のものではなく泥水のものだった、と僕は気づいた。
喪失感が僕の背中に伸しかかり、しばらくの間動くことができなかった。
 雨が目に入り、僕は我に帰った。雨はさらに強くなっていた。
僕は家へと向かった。
その途中、足を滑らせ、僕は意識を失った。


 突き刺すような鋭い痛みに耐えながら、僕は上半身だけを起こした。そして自分の体に色があることに気付いた。
それが泥水や雨のものでは無いことを僕は知っていた。
 僕に色が無かったことに意味がないとするならば、僕に色があることにも意味がないのだろう。
全てにおいて、先ず現実があって、それに対してどうにか折り合いをつけていかなければならない。


 神様が気まぐれで僕に色をくれたんだ。


 僕はそういうことにして、目を閉じた。
 雨はもう少し降り続きそうだったが、いつ止んだのか僕は知らない。